猫と暮らす家

長足マンチカンのはなちゃんと猫飼い初心者のアラカン夫婦の暮らしを綴ります。

黒猫が不吉だなんて誰が言ったの?猫は魔女の相棒だった!?悲しき猫の黒歴史

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猫飼い民なら、黒猫は人懐っこくて優しい性格の子が多いことくらい誰でも知っていますが、猫のことをあまりよくご存知ない方や、今も世界の一部の国では、不吉な象徴とされる文化がいまだ残っています。

秋が深まりハロウィンが近づいてくると街では、オバケかぼちゃのジャック・オー・ランタンや妖怪、魔女、そして黒猫をよく見かけるようになります。今日は、そのハロウィンのお話と、昔々いわれのない疑いをかけられ迫害を受けてきた黒猫の歴史についてお話をしようと思います。


黒猫の歴史


ハロウィンってどんなお祭り?


日本においてハロウィンといえば、仮装をして集団で街に繰り出し、大騒ぎをするイベントのようになっていますが、本来はそうではありません。

歴史は紀元前に遡ります。

古代ローマ時代、ケルト人にとって10月31日は一年の終わりの日を意味していました。収穫の秋が終わると、寒くて厳しい冬がやってきます。冬がくると、死者の霊が家族のもとに訪れたり、同時に悪霊や魔女もやってくるので、悪霊ばらいの焚き火をしたり、仮面を被って身を守ったりした儀式がその由来と言われています。

はなちゃん
はなちゃん

ケルト人でニャンだろう?

はなとも
はなとも

中央ヨーロッパに昔々住んでいた人々のことだよ!古代ローマ人がそう呼んでいたの。のちにアイルランドなどイギリス諸島に移り住んでいったんだって!

はなちゃん
はなちゃん

ハロウィンはアメリカのお祭りじゃにゃいんだね?

アメリカでかぼちゃの仮装をしたり、自宅を飾ったりするようになるのは、19世紀以降、アイルランドからたくさんの移民がアメリカに移住してきてからのことです。それまでアイルランドでは、カボチャじゃなくて、かぶをくり抜いて、オー・ランタンを作っていたようです。

また、ハロウィンがキリスト教の行事のように錯覚されがちですが、前述の古代ケルト人の宗教観は自然崇拝の多神教であり、唯一神のローマ・カトリック教とは異なります。

ヨーロッパでもカトリック教徒の多いラテン系諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル、フランスなど)では、ハロウィンに興味のない人が多いのです。



中世の魔女狩りと猫迫害の歴史


かつて中東の砂漠地帯に生息していたリビアヤマネコが現在の家猫の先祖だという話は以前の記事に書きました。

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古代エジプトの人々は、その瞳が輝いているのは「太陽神ラー」が宿っていると信じ、猫は神の化身だとして尊び崇めました。エジプト国外に猫を持ち出すことを禁じ、猫崇拝は長く続きましたが、紀元前30年、クレオパトラ7世(プトレマイオス朝のファラオ女王)の艦隊が敗北し、ローマ帝国の支配に下ると状況は一転。ローマ人によって、猫はヨーロッパへ持ち出されるようになりました。新天地では当初、穀物を荒らすネズミ被害から守る家畜として重宝されていたのです。

ところが、ローマ帝国が滅び、10世紀ごろには宗教が政治と強く結びついて強大な力を持つようになると、猫は崇拝の対象ではないことを明白にする必要がありました。聖堂の上から猫を投げ落とすといった奇妙な祭りが行われたりするようになります。

また13世紀以前は、魔女と呼ばれる存在が地域社会の中にいて、呪術を使って治療をしたり、超人的な存在として尊敬を集めていました。しかし、14〜15世紀ごろから突然、魔女への迫害が始まります。これは気候変動と大きく関係しており、寒冷化した欧州の作物の不作、飢え、病気の蔓延などの時期と重なります。これらの不幸は全て、魔女が悪魔と契約を結び得た力によってもたらされる災いだと考えるようになります。

同時期、漆黒の闇夜に溶け込み、瞳だけがきらりと輝く黒猫は高いところから落とされても怪我さえしない特殊な能力を持つと思われていました。その理由は魔女の手先であるからだとされて、黒猫も魔女と共に罰せられるべきだという風潮が強まりました。


はなとも
はなとも

余談ですが、2019年末ドイツを訪れる機会がありました。
ローテンブルクという中世ヨーロッパの街並みがそのまま残る、城壁に囲まれた美しい街を訪れたときのことです。そこには「中世犯罪博物館」という施設があり、当時実際に使われていたとされる拷問器具がたくさん展示されていました。魔女もこのような拷問を受けていたと考えられます。

針の椅子

アイアンメイデン

公式サイトはこちら

www.kriminalmuseum.eu

アイアンメイデン(鉄の処女)は、マリアを象った空洞の人形で、罪人をこの中に入れて閉じ込めます。扉の内側には、たくさんの棘がついていて中にいる人は刺されてもがき苦しみますが、その声は外に漏れないようになってます。
館内には他にもたくさんの拷問器具が展示されていて、博物館を後にする頃には、少し気分が悪くなりました。

災いは連鎖し、16〜17世紀のヨーロッパでは「ペスト」が大流行します。世の中の悪いことは全て魔女のせいなので、ペストも魔女のせいにされ、各地で拷問や虐殺が繰り返されました。ネズミ駆除剤など無い時代、猫も先述の理由から手当たり次第に殺していたので、ますますネズミは繁殖し、ペストの蔓延を食い止める術を完全に無くしました。ネズミを捕って食べる猫もまた、この病気を撒き散らしていると思われていたのです。


ヒトラーの生類憐れみの令??


ナチスドイツの国家元首アドルフ・ヒトラーは大の愛犬家だったといいます。

第一次世界大戦後から敗戦寸前に自害するまで、ずっと犬を飼っていました。1933年に政権を得ると、ナチスドイツは次々と動物保護に関する法律を制定します。動物実験や屠殺を禁じたり、捨て犬は保護して飼い主を見つけるようにと指示を出します。ところが、猫に対してだけは違っていて「猫は狩猟の邪魔をする」ので、捨て猫がいたら罠と銃を使って殺してもよいとしました。これは、犬は群れで行動し、人に従順である反面、猫は自由気ままで個人主義の性質が、民族第一主義社会国家元首に上り詰めたヒトラーにとっては、気に入らなかったのでしょうね。


猫の復権


17世紀後半から、ガリレオ・ガリレイや、アイザック・ニュートンなど、近代的な知性のある人物が次々と出てくるようになると、前近代の魔女狩り思考などは、急速に衰退していきます。それと同時に、猫への虐待風潮も落ち着いてきます。

18世紀末のイギリスでは「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれる絵画が流行します。田園風景を背景に、可愛い子どもが猫を抱いている風俗画などです。
また日本では、猫好きで知られる作家たちが小説の中で猫を描きました。夏目漱石の「吾輩は猫である」はあまりにも有名ですが、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」や、宮沢賢治の「猫の事務所」内田百閒の「ノラや」などがあります。


今回の参考文献はこちらです↓


まとめ


ハロウィンから、魔女狩りの歴史と、言われなき猫の不遇時代についてのお話でした。こんなにも愛おしい猫を無惨に虐待する様を想像するだけで心が抉られるようです。今の時代に生きてよかったなぁとつくづく思いました。

記事の最後には、平和なうちの子を見ていただいて、まとめとしたいと思います。

ハロウィンとはなちゃん
ハロウィンとはなちゃん